「写 真」は一期一会の宝もの 38



初 夏 の 装 い

 本誌2007年10月号の写真、「雪の湖北道」と同じ滋賀県高島市マキノにあるメタセコイア並木道です。今回は新芽と若葉でほんわかとした感じのする若緑色の風景を撮りたくなり先日行ってきました。予期した以上に美しかったので再度登場させていただきました。

 この道は長さ2.4kmの直線道路で、1981年に学童農園「マキノ土に学ぶ里」整備事業の一環としてメタセコイアを街路樹として栽培したのがはじまりでしたが地域の人々の手で慈しみ育てられ、現在の美しく雄大な姿となったものです。1994年、「日本の街路樹百景」に選定されました。

 「冬のソナタ」で有名な韓国南怡島のメタセコイア並木道より数倍も長くずっと美しいと両方見てきた方が何かに書いて居られました。

 この道に隣接する農業公園「マキノピックランド」では、初夏のさくらんぼに始まり、ブルーベリー、ぶどう、さつまいも、くり、そして晩秋のリンゴまでいろいろの果物狩りなどを楽しむことができます。

 メタセコイアについての話題を少し書かせていただきます。1939年に京大理学部教授、三木茂博士により岐阜県土岐市などで新種の植物化石が発見されてメタセコイアと命名され1941年、学会で発表されました。その後世界の化石学者の間では、メタセコイアはジュラ紀末(約8千万年前)に地球に現れ、およそ100万年前に絶滅したと考えられていました。しかし、1945年、中国四川省に現存することを南京大学の鄭博士が三木教授の文献をもとに論文を発表されました。その種子を元にして育てられたメタセコイアは「生きた化石」と呼ばれて世界中に広がって行きました。

 日中戦争のさ中にあって日本と中国との間でこのような学術交流があったことは驚くべきことです。メタセコイアの特徴はカラマツと同様、針葉樹でありながら落葉するという珍しい性質です。

 さらに余談になりますが、カリフォルニア州に自生する、幹に空いた穴を車が通ることができる程の巨木「セコイア」の名称は、アメリカ原住民の名前からとって付けられたものですが、彼、セコイアはチェロキー族の英雄で、初めてチェロキー語の文字を作り、原住アメリカ人として初めて文字文化を作り出した人物なのだそうです。「メタセコイア」が「セコイア」に酷似していたので三木教授が後期という意味の「メタ」という文字を入れて名付けられました。

                                                   栗原 眞純

随筆集目次へ