「写 真」は一期一会の宝もの 42

 京都市民の飲料水源はびわ湖から疎水運河を通って供給されていて、左京区南禅寺境内を通る部分は水路閣と呼ばれています。

 ローマ時代の水道橋を思わせるこの水路閣は来年完成後100年を迎えます。年月を経た赤煉瓦造りの建築は700年の歴史を誇る南禅寺の古さにもよく馴染んでいます。

 数年前、保事協フォトクラブで、当時のミス京都、桜川真由美さんを南禅寺にお招きして撮影会を行いました。紺色の地味な服装が古風な水路閣にほどよく溶け込む理想的なモデルさんでした。

 疎水物語を続けます。明治の東京遷都に伴い、人口が減少し産業も衰退しつつあった京都市を立て直すべく、第3代京都府知事北垣国道が、水運・灌漑・上水道・水力利用を目的としたびわ湖疏水を計画、この計画を卒論テーマとして工部大学校(後の東大工学部)を卒業したばかりの田邉朔郎に設計監督を依頼しました。

 1885年に着工して二本の疎水が掘られました。水力発電は当初の計画には無かったのですが、疎水工事中に米国コロラド州に世界初の水力発電所が作 られたことを知った田邉により工事計画に追加され、1891年日本初(世界で2番目)の営業用水力発電所となる蹴上発電所が作られました。

 この電力を使って、1895年には京都・伏見間でこれも日本初となる電気鉄道(後の京都市電)の運転が始まりました。
水 路 閣 に て
 当時の国家予算の1.8倍という巨額投資の殆どが京都府民の負担になるというので、各地で反対運動が起こりましたが、北垣知事と田邊は、「京都市の産業を発展させるためには、痛みを乗り越え、100年先の未来を見据えなければならない」と粘り強く説得し、市民の協力を得ることに成功しました。

 リーダーが明確なビジョンと強い信念を持って行動すれば、道は開けるという恰好の手本ですがこのようなリーダーこそ今の日本に期待したいものです。
                     栗原 眞純

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