「写 真」は一期一会の宝もの 24



桃 山 城 に 陽 が 沈 む

 豊臣秀吉が1592年に築城し、豪華絢爛な宴、醍醐の花見を催すなど自身の栄華を誇る最晩年を過ごした伏見城はその後災害や戦災で破壊された後、徳川家康により1601年再建されたものの1625年に廃城となり城跡は開墾され桃山と呼ばれるようになりました。

 伏見城本丸跡には1912年伏見桃山陵(明治天皇陵)が作られましたが、1964年広大な城趾の一部に往時の城を偲ぶ伏見のシンボルとして伏見在住の方々の尽力で伏見城を模した天守が作られ、その周囲を含め遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が誕生しました。

 しかし、2003年遊園地経営が難しくなり、取り壊し寸前まで追い込まれたのですが、伏見住民の存続を求める熱意が京都市に伝わり、その全てを京都市に譲り市が整備する形で2007年より伏見桃山城運動公園となり市民の憩いの場となっています。ただ、天守内は老朽化が進んで居るため現在入ることが出来ません。

 模擬城とはいえ、広大な土地に立派な天守があるため映画やTVドラマ

に度々登場し、2007年には映画「茶々天涯の貴妃」撮影のため東映が1億円を投じて外観の整備を行いました。この写真は運動公園のグランド整備中に撮ったものですが、グランドの完成した今、グランドフェンスが邪魔をしてこのような写真は撮れなくなりました。
 なお、天守内資料館に保存されていた「伏見御城槨并屋敷取之絵図(伏見城々下町絵図)」や「宝暦七年伏見古地図」など多くの貴重な資料は現在京都市が別個保存しているそうです。また、「桃山城」ではない本物の伏見城大手門が近くの御香宮表門(重要文化財)として移築され、現在も使用されています。
                                      随筆集目次へ