フィンランドにて           伏見医報  Aug., 1994


 昨年夏、諸般の事情から16年間維持して来た入院ベッドを閉鎖しました。何があってもプラス志向でという主義で、これまでベッド故に果たせなかった夏期一週間連続休診を実行し、フィンランドを旅しました。

 フィンランドは、広さが日本の90%、国土の65%が森林、そこに18万を越す湖沼が散在します。人口わずか500万人、55歳から60歳の就業率は日本の85%に比し、わずか40%、これは高度の福祉政策と若者に職を与え有能な若い労働力を確保するためだそうです。

 成田−ヘルシンキ直行便でヘルシンキ到着後、直ちに空港でレンタカーをしました。その後一過間で1,600km走行した間に印象に残ったことを記します。

 フィンランド東端をロシア国境沿いに南下しました。左折5kmでロシアという標識があったので左折、淋しい道に入って約20km走ったのですが、人も車も滅多に通らないところで、国境らしきものも見あたりません。検問所がないなど不思議だな、道を間違えたのかなと思って辺りを見回すと何やら風景がロシアくさい感じがします。もしも帰りに検問されて無断出国で帰れなくなったら診療に間に合わなくなるなという思いが頭をかすめてそこでUターンしました。

 しかし長いながい国境線は一体どうなっているのでしょうか。余りに速すぎたソ連崩壊で国境警備まで手が回らないのでしょうか。豊かなフィンランドに逃げてくるなど日常茶飯事のことのように思えました。

 フィンランドの道路はフランスなどと同様に一般道路でもゆったりしていて大体制限時速は100km/hです。車も少なく周りの風景は森と湖の連続で、おいしいフィトンチッドの香りの中を走ります。所々にトナカイに注意の標識があります。時間も遅くめったに車も来ないので140〜150km/hのスピードで走っていました。

 すると知らぬ問にポリスカーにつかれ、赤ランプで止まれの合図です。いろいろ言われましたがはっきり分かったのは紙に書いてくれた100という数字だけでした。これ以上出しては駄目だということでしょう。言葉の分からないおかげで無罪放免となりました。

 言葉と言えばホテルやヘルシンキなどの大都会以外では小学生程度の英語も通じません。しかし身振り手振りは世界共通語なのでどこへ言ってもそれほど困ったことはありませんでした。

        

 ガソリンスタンドは全てセルフサービスです。都会では、入れたガソリンの種類、量、金額が近くのコンビニ様の店のレジに出るしかけです。田舎では自販機にお金を入れると入れた金額分だけガソリンが出てきます。30リッターしか入らないのに40リッター分のお金を入れるとおつりはでないので損をします。ガソリンの種類がいろいろあるのでまごつきますが、まあどれを入れても走らないことはないだろうという気になれば平気です。

 こんなことがありました。お金を入れても機械が反応しません。夜なので近くの店は閉まっています。少しはなれた所にTAXIのサインが見えたのでそこに助けを求めました。するとスタンドまで来て見てくれたのですが自分にも何故ガソリンが出ないのか分からないと (身振りで) 言ってタクシー無線でどこかに電話をかけてくれました。

 待つこと十数分、びっくりするような北欧美人が颯爽と車で駆けつけてくれて機械を開け、つまっていた紙幣を通してくれました。 感激してお礼のチップを渡そうとするのですが、二人とも受け取ってくれませんでした。それにしても明るいとはいえ夜の十一時過ぎ (日没は十一時過ぎてからです)。フィンランドには暴漢などいないのだろうかと思ったことでした。

 チップはどこにいっても徹底して受け取りませんでした。ホテルの枕チップもそのまま残してありました。 ドライブ中は時間が惜しいので、食事はスーパーでパン、ジュース、ハム、果物などを買って運転しながら食べました。あるスーパーで買った長ーいフランスパンの味が忘れられませんでした。噛めば噛むほどに深い味の出る逸品です。

 あの味をもう一度と思ってその後何度もフランスパンを買って見ましたがついに同じ味には出会えませんでした。おかげで帰国の日には私の車には食べさしのフランスパンが一杯残ってしまいました。レンタカーの掃除係がびっくりしたことでしょう。

 フィンランド滞在中、美味しいと聞いたレストランなどに行ってトナカイのステーキなど種々の料理も食べて見ましたが、ついにこの車の中で食べたフランスパンに優る味には出会えませんでした。どなたか近くで美味しいフランスパンが置いてあるお店をご存じないでしょうか。

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