苦 し み         伏見医報 Nov.,1979

何を書いてよいやら

 ああ辛い、苦しい、しん どい・・・・・・。もう一時間も前から、原稿用紙を前にあれこれ考えているが、出るのはため息ばかり、何を書いてよいのやら、さっぱり文章が頭に浮かんでこない。

 医芸展に写真を飾らせていただいたところ、医報係の I 先生から、大至急写真づくりの苦心談を3日以内に書くようにと言われたのが4日前、3日ではとても無理だと言ったら、5日にまけてやるといわれ、I 先生闘病中、お見舞にも行けなかったうしろめたさも手伝ってお引受けしたものの、明日が〆切りというのにこのざまである。物書きでない者が物を書くときの、あの無から有をしぼり出すようなしんどさ、苦しさは、作文の苦手な方ならよくご存知と思う。

苦しいものはほかにも

 しかしまてよ、この苦しさには確か物書きの際でなくても、度々悩まされたことがあるぞ、 あゝそうだ。これこれ、この苦しさ。正にこれである。

 写真作りの苦しさもまったくこれと同質である。他の人はいざ知らず。私は苦しんで苦しみ抜かないと、ましな写真を撮ることができない。

 むやみやたらと何百枚も撮って、その中からあとで良いものを選び出す主義の人も多い。特に昨今はモータードライブ大流行。10秒 もあれば2・30枚の写真は簡単に写せる。私にはフィルムが勿体なくて、とてもそんな真似はできない。また、あとで沢山の写真を比較・整理するひまもない。 とにかくねばって、これはと思うシーンを見つけたら、その一瞬に全神経を集中して、そっとシャッターを押す、というのが私のやり方で ある。

 しかし、これと思うシーンを見つけるのが、なんとも苦しく、辛く、難しい。 ゴルフ旅行やテニス旅行の際、ついでにカメラを持っていっても、まずこれはダメである.このようなついで気分で良い写真が撮れたためしがない.

 写真を撮ろう、作品を作ろうと思うなら、それのみを目的にして出かけねばな らない.そして全身を神経にし、眼にして、一見なんでもない風景の中からよい絵を、強引に、どん欲に、なりふり構わず、力まかせに見つけ出すのである。むさぼり獲るのである。丁度たいくつな日常生活・経験の中から名文を考え出す時のように.

神の与えるチャンス

 このような気持ちを持って、一日中歩きまわる。歩 いて歩いて歩きまわる。そうすれば一日に一度くらい、神は素晴しいチャンスを与えてくれるのである。

 その時の為に、カメラは常に最高の状態でなければならない。バッテリー、フ ィルムは必ず新品を入れる.カメラやフィルムの状態が悪くて、千載一遇のチャンスを逃がして、地団駄踏んだこともいく度かある。逃がした魚は大きい。とりのがした場面は残念で、5年経っても10年経っても眼の奥に焼きついて忘れられないものであるが、もう手おくれである。同じシーンは、2度と再び見ることはないのである。

思いつくまゝに書き綴ると

 私の写真歴のエピソードのいくつかは、すでに以前、伏見医報に書かせて頂いたが、以下、再び思いつくままに 駄文をつづけさせていただく。

 人物写真を撮るには、正面から堂々と撮るのも、それはそれで良いのだが、できるだけ自然な状態で、カメラを気づかせないで撮るのも大切なテクニックである。しかし気づかせない為に、あまり長い望遠レンズを使用すると、レンズと被写体の間に入る空気の層が厚くなる為、写真がねむたい、うす霧のかかったようなものになってしまう。

カガミを使って撮る

 ちょうど10年前、UCLAに居たころ、カメラ雑誌で、カガミを使って真横を撮ることが出来る道具のあることを知った。アメリカというところは、実にさまざまなものがある所だ。一寸した小道具の奇抜さ、楽しさには、いつも感心させられたものである。

 ところで、このカガミは200ミリ以上の望遠レンズの先端にとりつけるようになって居り、私の希望する、標準、内至短望遠レンズには残念ながら、使用出来なかったし、当時の私の月給、800$に比し大変高価であったので、これを実験の合間に自作することにした。

 最初はいとも気楽に考えて、手ごろなコンパクトの丸カガミをとりはずして、全体を黒く塗りつぷした紙コップの横に、円い穴をあけ、ここに45度の角度でカガミを置き、紙コップの底を抜いてカメラのレンズの前にとりつけた。一眼レフでのぞいて見ると、大変具合が良い。 あっちの方にレンズが向いていて、カメラが実は自分を狙っているなどとは誰も思わない。早速試し撮りをして、ワクワクしながら現像してみてがっかりした。 全部ピンボケで失敗である。

 原因は直ぐわかった。普通のカガミは、ガラスの後方に真(しん)の鏡面がある為、カガミに映ってできる像は、実は1つではなく、ガラス前面で反射した像や、真の鏡面で反射した像、さらにガラス面と鏡面とで何度も複雑なガラス内反射をくり返 してできるいくつもの像とが入り混っているためであつた。

 これを解決するには、ガラス前面に真(しん)のカガミがある表面鏡が必要なのである。そこで、実験器具の製作修理で日ごろつき合いのあるUCLAの工作室へ行ったところ、そのようなカガミは使ったことがないが、そこに行けば多分あるだろうと言って、ロサンゼルス最大のカガミ屋を教えてくれた。

 昼休み早速そこへ行き、大変重要な実験に使用するのだが、こうこうこういうものはないかと尋ねたところ、そのように大型の表面鏡は普段は置いていない。あるのは、計器に使用する小型のものだけである。 しかし2・3日前、あるメ ーカーから大型表面鏡のサ ンプルを送ってきていた筈だからそれを探してあげ ると言ってくれた。

 待つこと十分、10センチ四方、厚さ8ミリの分厚いカガミを持ってきてくれた。 大切な実験の手伝いができ て、私もハピーだと言って気前良くただでくれた。その時の握手のなんと暖かかったことか。

 さて、こうして手に入れ た一枚のカガミを宝物のようにして、再び先の工作室を訪れた。あらかじめマジックインキでカガミに必要な楕円形(円筒を45度に輪切りにすると断面は楕円となる)を描き、この通りの形に切ってくれるよう 頼んでみたが、普通のカガミなら切るが、こんなに分厚いカガミを、しかも表面に触れないで(表面に触れ るとカガミが駄目になる  また 厚いので裏から切ると表の切口が不整となる)正確な楕円型に切るなど自分にはとてもできないと言う。

 またまた仕方なく、先刻のカガミ屋にはなんとなく2度は行きにくかったので、あてもなく車を走らせ、眼にとまった1軒のちっぽけなガラス屋へ立ち寄った。 再びカガミを見せて、やってくれるかと言うと、よし、やって見ましよう。80%成功の自信があるが、失敗の確率も20%ある、それでもよいかと言うので、仕方がないのでOKした。すると驚いたことに、広い頑丈な台の上にカガミを置き、自分もその上にあがって前屈みになり、右手にごく普通のガ ラス切りを持ち、フリーハンドでグルーツと一まわりすると、見事にカガミに楕円型の傷あとがついている。 これが出来ればあとは簡単。 不要部分を取り除いて、見事な楕円ミラーが出来上っていた。プロの手並みに感 心しながら、おそるおそるハウマッチときくと、またまた、金はいらんという。 何んとアメリカには善良な人達が多いことかと、サンキューを連発してサヨナラ した。

 数日後、カガミは立派に完成し、その使用結果も抜群であった。カガミを使用したものと使用しないものとで同じ対象を撮っても、全く区別が出来ないくらいであった。私の医芸展出品作品には、このミラーの世話になったものがいくつかあった筈である。 ところで、このミラーはすでに日本でも数年前より大変見かけの良いものが発売 されている。

苦心は続く、  現像・引き伸しへ

 このようにして折角大苦心して撮った写真の現像・ 引き伸しが、また難事業で ある。

 白黒写真にしか興味がな いという写真愛好者も多いが、その原因の大きなものは、カラー現像の面倒さの故と思う。モノクロに比し何故難しいかというと、結局、カラー故に暗室ランプが使用出来ないので現像の進行状態を眼で確認できないからである。モノクロシステムでは、印画紙に感じ ない長波長の光の下(本が読めるくらいの明るさ)で、眼で見ながら現像出来るので、あゝこのぐらいの濃さになったから現像をストップさせよう、いや、もう少 し待とうとか考えながら出来る。しかしカラーではそうはいかない。何しろ暗やみでやるのだから、今どのような濃さになっているのか、皆目見当がつかない。

 ではどうして現像終了時間を決めるか。それは正確に2分なら2分間、現像液に侵せば丁度良い濃度になるように、全ての条件を設定してしまうのである。

 その為、時間を変えて露光したいくつもの印画紙の小片を、実際に2分間テスト現像して見ることにより、至適露光時間を知るのである。化学反応は温度に強く左右されるから、2分きっかりに丁度良い濃度になっているようにするには、従って液温もまた正確でな ければならない。そのためには、先ず暗室の室温を液温に近いところに持っていく。更に精度の高いサー モスタットつきの保温器の上に、現像・停止・定着液の全ての容器を置き、液温をプラスマイナス0.5度の差以内に保つのである。

 更にいくら温度と現像時間が正確でも、最初印画紙を引き伸し機にかける際の露光量が、テスト現像の時と同量でなければ駄目である。これには100分の1秒迄正確な露光が行える露光器が必要となるし、その上に引き伸し機の光源の光の強さが安定していることが必要である。家庭用のコンセ ントは、約100ボルトだが、夜間など電力消費の多い時間には95ボルトにドロップすることも珍しくない。5ボルトの差があると、光度は勿論、光源の色が変ってしまって全く見られない色の写真になってしまう。 そのため、電圧安定器が必要になる。

 こうして写真の濃度が決 まったら、今度は自分の好みにあった色が出るように光源の色合いを赤・黄・青3色の光を種々の割合いで ミックスすることによって調節し、5内至10回の最後のテスト現像が必要となる。一回のテスト現像に、平均15分かかるとして、75内至150分の後、やっと本現像が1回出来ることになる。写真がかわる度に同じ手順をくり返す。つまり一晩徹夜しても4種のカラー写真ができればバンザイである。

 まことにこれ迄の手順を読むだけでもしんどい話で、多分大方の読者には、ここまで読んで頂けないだろう とあきらめている。

 このような複雑さに比し、モノクロははるかに簡単で、一晩あれば何10枚でも、小さい写真であれば何100枚でも現像可能である。何故かくもバカげたことをして自家現像するかと言えば、それは好みの色を出したいこ とにつきる。自分の好みを指定して現像させることなど不可能である。但し見本をつけて、この通りの色にするようにと指定すれば、メーカー指定の現像所であれば、見事に見本と同じ色の写真が返ってくる。

思い出はつきずに

 そのほか、写真にまつわる思い出を書き並べてみる と、ニューヨークの地下鉄で夜中の0時過ぎに写真を撮っていて、車掌に、殺さ れたいのかと注意されたこ と。

 ウルグアイの町で、日本で買えばン十万円もするような毛皮のコートと、カメラを交換して欲しいと言われたり (彼の地ではドル不足の為、カメラや新車の輸入を禁止しているとのこと)。

 ハリウッドのスタジオへ友人のドクター達と連れ立って行き、PLAYBOY誌から抜け出して来たようなブロンドのヌードモデルを前にして撮りまくったものの、どうして現像してよいやらわからず(当時は カラーフィルムは自分で現 像しなかったので)借しくも全部パーになってしまっ たり。

 或るドクターが明日の学会で朝9時の発表に使用するカラースライドに、格好の悪いまちがいを見つけ、どうしても直したいがどこの写真屋も受けつけてくれないと、夜おそくこられ、徹夜でスライド作りをしたこと。

 ある博物館で撮影禁止と大きなハリ紙のしてある展示物を、どうしても撮りたくなり、こそこそするとかえって叱られると思い、大型カメラと大型三脚とストロボ2台を使用して撮ったところ、当然許可を受けているものと思われたのか、最後には館員の1人からご苦労様と言われたり。

 クラス会の記念撮影を頼 まれて引き受けたところ、フラッシュが同調しないで、全然写っていなかったこと。

 或る友人の結婚式では、馴れないその友人のカメラを使用した為、フィルムがスプロールから外れていることに気づかず、大切なシーンが全てだめであったこと。

 学生時代、A教授のOPEシーンを撮るため、手術場にカメラを持ち込んだものの、肝心の時に高湿度の為かシャッターが動かなくなり、泣きたい思いをしていると、それに気づかれた教授がOPEの手を止めて、愛用のライカを助手に取りに行かせ、貸して下さったり、失敗談も数多いのである。

上には上のカメキチ

 こうして書いていると、 あらためて私のカメキチぶ りも、相当なものだという気もするが、いやいや、上には上がある。

 私の恩師のS先生などは、丈夫な三脚を使用しても、カメラぶれが気になり、理学部だったか、工学部だったかへ出かけて、センプー機をまわし、その風がカメラにどのぐらいの加速度を与えるか(驚いたことに直接カメラに当たらないごくごくわずかの風でもカメ ラは動くのだ !!)を調べた りして居られたものである。その代り先生の腕前はそれこそ大したもので、私などまだまだ及びもつかない作品を沢山作っておられた。

 ここ数年、開業前の忙しさ以来ずっと写真らしい写真を撮っていない私であるが、またそのうち時間をやりくりしてあちこち出かけ写真撮影の苦しみを味わって見たいと考えている。

 あの、素晴しいシーンをファインダーの中に見つけ、シャッターを押す瞬間の心と指の震えと、満ち足りた気持ちを感じたいが為に。

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