さよなら「ちゃー」 伏見医報 May, 2008
風薫るこの4月28日、可愛がっていた雄猫「ちゃー」がわずか2年という短い生涯を終えた。
2年前、中1だった動物好きの娘が柴犬を飼いたがっていたが、「毎日散歩させること」という条件に自信がなく、散歩なしで飼える猫に着目し、NETの里親募集を色々見ていたようであった。
あるサイトで大阪に住むYさんが自宅と隣家との狭い隙間に産み落とされていた5匹の生後間もない猫を家に入れ、すぐに写真入りで里親募集をされているのを娘が見付け、その中の一匹を気に入って、この子を欲しいとメールした所、2日後若いお兄さんが手のひらサイズの可愛い子猫を連れて来て下さった。
あまりの可愛さに大喜びの娘は、ペットを飼うことに余り乗り気でなかった兄を「俺の部屋に入れないこと」という約束で説得したようであった。しかし、「ちゃー」は何故かその兄貴がお好みで、彼に甘えてじゃれつくのであった。彼も好かれて悪い気がする筈もなく、めでたく家族の一員となって皆から可愛がられる日々が続いた。「ちゃー」はまた、それぞれに生活サイクルが異なり、顔を合わせることが少なくなっていた家族団らんの機会をも増やしてくれ、子供達が小さかったころのように「ちゃー」を主役とした笑い声が度々聞かれるようになった。
「ちゃー」の賢さにも驚いた。まず感心したのは生後間もない子猫がただの一度も粗相をしなかったことであった。食事も必ず決められた所でとり、自分用の飲食物以外には触れない。水をこぼしたり餌をちらかすようなこともない。
私たちがパソコンをいじっているとそばにやって来ていつまでも眺めているがこの時も邪魔にならないように気を遣って居るかのように私には思えた。たまにやらかすいたずらもかえって微笑ましく笑いを誘うのであった。とにかく温和しくそれでいて賢く何もかも分かっている、そんな雰囲気を持った不思議な「ちゃー」であった。
この2月中ごろ、「ちゃー」に異変が起きた。突然、アゴから始まり次に手足、腹部へと異常な浮腫が起こり急激に元気がなくなって来た。近くのM動物病院で血液検査をして貰った所、Ht:14%、HG:4g/dl、RBC:238万、BUN:44mg/dl(正常値は人とほぼ同じ)と強度の貧血と腎機能異常が見られ、ICUに入れられて確診を待つことになった。エコーで腎の異常な腫大が見られ、生検の結果、腎型悪性リンパ腫とのことで直ちに週1回の抗ガン剤(ビンクリスチン)点滴が始まった。
他にステロイド剤や別の抗ガン剤の内服薬も貰ったが、これらは「ちゃー」が嫌がってどうしても服用しなかった。
最初の3週間の抗ガン剤の効果は眼を見張るもので、この間の検査成績は輸血もしないのにHt:33%、HG:10g/dl、RBC:576万、BUN:24mg/dlとほぼ正常の状態が3週間続き、かつてのように家の中を元気に走り回っていた。しかしその後は抗ガン剤の効果も見られなくなり、それから3週間後には最初の数値より悪化し、殆ど何も食べなくなって病院へ行っても栄養剤の皮下点滴を受けるのみとなった。
担当の若い女医先生は苦しそうな「ちゃー」を前にして現代医学ではどうすることもできないはがゆさに涙を流しながら最後まで懸命に治療して下さった。
家の中ではどこか一ヶ所、居心地の良い所を見付けて一日中じっと外を眺めている姿がよく見られた。苦しく辛かったであろう闘病中も人間のように苦しそうな顔一つ見せず、そばに行くとただじっとこちらを眺め、撫でてやるといつまでも気持ち良さそうに感謝のこもった表情を見せ、のどをゴロゴロ鳴らすのであった。
亡くなる前夜、不思議なことがあった。我が家の食卓には6脚の椅子がある。滅多に6脚全部が使われることが無いのに、この夜はたまたま家族4人に親戚一人を加え、5人揃って食事をしていた。ここ数日間殆ど歩く元気も食欲も無く、浅い苦しそうな息をしながら、窓際でじっとしているだけだった「ちゃー」が突然窓際から飛び降り、一つ空いていた食卓椅子に飛びのって、何ともいえない声で「にゃーん」と二声発して皆の食事が終わるまでその椅子に寝そべっていたのである。
もう死を待つばかりと考えていた私たちはどこにそんな力が残っていたのか本当に不思議に思った。翌日夜8時、彼は娘と妻の手の中で眠るように亡くなったのである。私が帰宅したときはまだ暖かく、生きているときと同じ透きとおった美しい緑色の瞳を開けたままであった。前夜は本能的に死期を悟った「ちゃー」が最後の力を振りしぼって別れを告げに来たのだろうと話しあった。翌々日、葬場へ連れて行き、特別に「ちゃー」だけを別に火葬して貰い、人間と同じように小さな骨を拾わせていただいたそうである。