昔懐かしい,東海道本線で使われた特急「つばめ」や「はと」、京都での写真です。
                                           伏見医報2017年2月号 栗原 眞純

「写真1」は1956年、山科高架線を蒸気機関車C62に弾かれて疾走する最後の「はと」です。立入禁止の線路内から別の列車に撥ねられるのではないか、鉄道員に叱られるのではないかと、恐々撮影しました。翌日からは「写真2」の如く電気機関車EF58と交代しました。
「写真3」は当時の梅小路機関区での「つばめ」です。「写真4」は同じ頃、自宅から撮影した雪の日の東海道線遠望です。最下段は記念乗車券です。

 特急「燕」、「つばめ」について駄文を少し、「燕」は1930年、東京−大阪間を所要時間8時間20分で運転を開始しました。1934年同区間を8時間で結び、この記録は戦後1956年、東京−大阪間が全線電化された後の「つばめ」や「はと」により7.5時間となる迄破られませんでした。

 1960年「つばめ」も「はと」も電車特急となり、6.5時間になりました。1964年新幹線開通後も「つばめ」や「はと」は1975年まで九州など他線で使われながら消えて行きました。

 ついでに特急誕生以前に遡ると、1889年新橋−神戸間が20時間5分、1896年には17時間9分、1906年13時間40分、1921年全線複線化、新逢坂山トンネル完成により11時間50分という具合でした。

 第二次大戦が終わり、戦後初の特急「へいわ」は1949年東京−大阪間を9時間で結びました。

写真1 写真2
写真3 写真4
記念乗車券 昭和31年11月19日の文字が見られます