フォトエッセイ 「疫 病 今 昔」  京都保険医新聞 令和2年8月 銷夏特集    栗原 眞純

 天平時代の天然痘、平安/鎌倉/室町時代の麻疹/流感/天然痘、江戸時代の天然痘/痘瘡/麻疹/コレラ/流感、などの大流行はいずれもが現在の新コロ騒動よりも遙かに膨大な数の死者を出しました。人々はなす術もなく加持祈祷に頼るしかありませんでした。

 令和新コロ時代の今、鎌倉時代末期に書かれた、吉田兼好(1283〜1350)の徒然草五十段を読みました。原書にはとても歯が立たないので、いくつかの原文(原書を分かり易くしたもの)を勝手に解釈して書いて見ます。

 平安時代末期から室町時代(947〜1452)にかけても疫病が幾度となく京を襲いました。人心を一新して疫病を断つべくこの間に改元が14回行われました。人から人へと伝わって来るうわさや流言飛語に惑わされ途方に暮れる人々の様子が書かれています。
 それはあたかも現代の私たちが、視聴率を稼ぐために流される新コロ報道を鵜呑みにし、専門家や有識者と称される人々までもが一緒になって、迷い戸惑っている今の姿に重なって見えます。

 【筆者の勝手な解釈文】
 少し前、伊勢の国から鬼になった女(女に化けた鬼か[筆者註])が京にやって来たといううわさが立った。廿日もすると、日ごとに京中の人々が怖いもの見たさに群衆となって一斉に「鬼を見に行くぞ」と言って集まりだした。「昨日は西園寺に出たぞ」「今日は御所に出るらしい」「今はあそこだ」とか口々に言い合っている。
 しかし、「確かに見た」と言う人はいない。かといって、「全くのデマだ」と決めつける者もいない。身分上下の区別なく京中、鬼の話ばかりしている。

 その頃、自分が東山から安居院のあたりへ出かけたところ、四条通りから上(かみ)の住民が総出で北の方角を目指して走って行く。「一条室町に鬼がでたぞ」と大声で騒ぎ立てている。今出川のあたりから眺めて見ると貴族が使う祭見物用の桟敷席のあたりは通る隙間もないほど混雑している。「これほどの騒ぎになるのならそれ相応の要因があるに違いない」と考えて、人を使って見に行かせたが誰も鬼に出会った者はいない。日暮れまで大騒ぎをしてあちこちで殴り合いの喧嘩まで起こしている、全くの興ざめであった。

 しばらく経つと、だれかれ無く至るところで多くの人が疫病にかかって寝込んだ。「あの鬼女のうわさは、この疫病の前触れだったに違いない」といぶかる人もいた。【解釈文終わり】

      画像は兼好法師が住んでいた双岡近くの仁和寺二王門を固める金剛力士像「阿」と徒然草冒頭部分の原書です。
               

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