ウイリアム      伏見医報 May, 2001


 昭和41年頃ある寒い冬の朝、わが家の入り口に首輪のない雑種の子犬が一匹ぐったりしてうずくまっていた。誰かが置いて行ったにしては衰弱がひどいようである。 可哀想に思って連れて入った。抱いて見るといやに熱い。ミルクを飲む元気もなさそうだ。持っていたマイシリンを注射して、様子を見ていたら翌朝には元気になってミルクも無くなっていた。

 持ち主も皆目見当がつかないのでウイリアムと名付けて一緒に暮らすことにした。なかなか賢い犬で、家の中に上がらないこと、トイレは決まった所でなどすぐに覚え、今のようにうるさく言われることもなかったので放し飼いにしていた。 毎朝、出勤時には国道1号線に出るまで1kmほども私の車の後を追ってついて来る。そして車が見えなくなるまでじっと見送っている。帰宅すると仕事で深夜1時2時になっていても必ずどこからか飛び出して来てじゃれついて放してくれない。その歓び様はいつもたいへんなものであった。

 それから2年ほどが過ぎ、2年間の予定で留学する事になりすっかり大きくなったウイリアムの処置に困ってしまった。枚方に住む犬好きの友人が貰ってくれるというので、車にのせて連れて行った。車の中では酔ったかのようにおとなしかった。 数日後、鎖を外した隙に居なくなったと電話があった。それから5日後、いつものように車で帰宅すると彼がむしゃぶりついて来た。車で1時間余りのところをどうして帰って来たのか。不思議な動物の帰巣本能に驚いた。

 見かねた母が引き取ってくれるというので実家へ連れて行き、私が毎日一回顔を見せてこれからはここが彼の住みかであることを教え込んだ。この作戦は一応うまく行ったように思えた。鎖をはずしても居なくならなかったからである。 実家を訪ねるのを三日に一度にし、週に一度にしても彼は元気にしていた。すっかり母達に馴れたようであった。おかげで安心してアメリカへと旅立つことが出来た。

 渡米して一カ月が過ぎたころ、電話がかかって来た。「居なくなってしまった」というのである。以前住んでいたところを探したりもしてくれたらしかったが見つからなかったようであった。 彼の消息はそれっきりである。思えば当時、実験とバイトだけの単調だった私の生活の中に、風のように入り込んで来て、動物の愛らしさ、純粋さを私の心に吹き込んでたちまちすーっと消えて行ってしまった彼、ウイリアムを思い出すと今も胸が痛む

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